総長・総裁一覧
妄想するよりは活動せよ。疑惑するよりは活動せよ。話説するよりは活動せよ。
初代総裁/初代総長
後藤新平(1857‒1929)
医師、官僚、政治家。南満州鉄道初代総裁、東京市第7代市長。
伯爵。東京放送局(のちの日本放送協会)初代総裁。
日本連盟の初代総裁であり、初代総長。ボーイスカウトを心から愛し、全国巡回講演会等を実施。その際、スカウトと直に懇談するなどし、日本におけるスカウト運動草創に尽力した。ロシア外交に赴く際、全国のスカウトからもち米3粒ずつを集めて炊いた赤飯をご馳走になり、「自分もこの年になるまで数限りないご馳走や感謝を受けて来たが、今日程感動させられた事はない」と涙を流したというエピソードも残されている。
総長一覧
すべからく朗らかに猛進すべし。
第2代総長
齋藤 實(1858‒1936)
子爵、第30代内閣総理大臣。朝鮮総督や海軍大将などを歴任。先代総長の後藤新平とは竹馬の友であり、内閣総理大臣就任前より日本連盟相談役としてさまざまな場面で活躍。紹介した言葉は、昭和10年に少年団日本連盟が法人格を取得し、財団法人大日本少年団連盟としてスタートした時の「モットー」にもな った言葉である。就任からわずか8か月で「2・26事件」の犠牲となった。
スカウトは真の平和の戦士である。健児は健児の任務あり。備えよ、常に……
第3代総長
竹下 勇(1869‒1949)
鹿児島県出身の軍人で、最終階級は海軍大将。語学堪能で、「海軍の外交官」と呼ばれるほどに海外勤務の多い軍人だった。 また、語学だけでなく、柔道、剣道、武術なども好む人だった。少年団日本連盟発足のきっかけとなった1921年の「皇太子殿下(のちの昭和天皇)外遊」では、供奉諸員として随行している。日本連盟相談役に就任後、各地の指導者実修所や合同野営において、スカウトや指導者と起居を共にするなど、スカウト運動に対して熱意をもち、スカウト教育のよき理解者であった。
ボーイスカウトを行うなら、きちんとボーイスカウトを行う!それは班制教育、進歩制度、そして技能章制度の実践であり、真に国際的に誇れるボーイスカウトを育成することである。
第4代総長
三島通陽(1897‒1965)
小説家・劇作家・演劇評論家。子爵、貴族院議員。参議院議員、文部政務次官。少年時代からボーイスカウトに深い関心を寄せており、学習院院長であった乃木希典の薫陶を受けるとともに、近親者らの勧めで1920年に「弥栄ボーイスカウト隊」を結成。1921年、後藤新平のもとで少年団日本連盟の創設に参画した際、少年団日本連盟に加盟した少年団に対して述べたのが今回紹介した言葉。 戦後のボーイスカウト日本連盟再建にあたり、中心的な存在として力を尽くし、現在のボーイスカウト日本連盟の基礎を築いた人物である。
自分に与えられた数々の仕事にほんとうに心から奉仕しているだろうか、いやいやながら引きずられているようなことがあったら、それは Scout Promise「ちかい」にそむく。いつもいつも心から打ちこまねば幸福は得られない。
第5代総長
久留島秀三郎(1888‒1970)
財界人、作家。鉱山技師で工学博士でもある。昭和鉱業株式会社社長、相談役、同和鉱業株式会社取締役社長、日本鉱業協会会長、日本幼児教育福祉協会会長などを歴任。そのほか、厚生省の人口問題審議会委員や中央児童福祉審議会委員長なども務めた。 1916年には京都少年義勇軍の少年たちとともに、日本のボーイスカウトによる初野営(キャンプ)を滋賀県の琵琶湖畔で行った。戦後、在日米軍に接収されていた土地の返還要求に「ノー」と強硬していた米軍に対し、久留島が直談判すると、スカウト出身者の司令官とスカウトの話題に花が咲き、劇的などんでん返しが起きた。
自然の暴威に笑って耐え、日頃の鍛錬を身をもって実践し、困難を克服している。この姿こそ、真のスカウティングの発露である。(中略) スカウト諸君、元気でがんばれ!
第6代総長
松方三郎(1899‒1973)
登山家、ジャーナリスト、実業家。日本の登山界の草分けの一人で、キスリング・ザックを日本に持ち帰り紹介した人物でもある。南満州鉄道株式会社、社団法人新聞連合社などで勤務し、社団法人同盟通信社発足時には初代調査部長となる。その後は北京、香港、上海などに駐在。日本山岳会会長や東京国立博物館評議員、社団法人日本著作権協議会理事などを歴任。 1971年、第13回世界ジャンボリーで野営長を務める。今回紹介した言葉は、その会期中、台風に見舞われたスカウトたちに向けた激励の言葉である。
自分の心を動かすものが今日の少年の心をも動かすものであるかどうか、絶えず虚心に反省し探求して、新しい道を切り開き、この運動の若さを失わせないようにすることが、重要であると考えます。
第7代総長
渡邉 昭(1901‒2005)
伯爵。貴族院議員。昭和天皇の最後のご学友として知られている。文部省から委嘱され、ヨーロッパの社会教育状況の調査に従事し、イタリア、フランス、イギリス、ドイツを訪問。派遣団の帰国後もドイツに残り、主としてヒトラーユーゲントの活動を調査した。帰国後は、大蔵大臣秘書官、企画院総裁秘書官などを歴任。学習院の先輩であった三島通陽、松方三郎らの勧めで26歳で「東京連合少年団」の理事に就任したのが、ボーイスカウトとの出会い。戦後、日本におけるボーイスカウト運動の再建に参画し、以降、国内外のボーイスカウト運動に尽力した。
頭を使う、考える、ということには努力が要る。額に汗する労働にも似たきびしさがある。人はいろいろな言い訳を自分に設けて、このハードワークから逃避しがちなもの。
第8代総長(代行)
佐波正一(1919‒2012)
経営者。東京芝浦電気(現・東芝)に入社後、取締役、副社長等を経て、生え抜き初の社長に就任(のちに会長、相談役となる)。経団連顧問、国際基督教大学(ICU)理事長、日本銀行参与など多くの団体等で役職を務め、海外でも米国電気学会フェロー、工学アカデミー会員など経験多数。 1994年には日本連盟理事長に就任した。
2020年5月 就任
第9代総長
奥島孝康(1939‒)
法学者。早稲田大学名誉教授。早稲田大学第14代総長、白鷗大学第5代学長、日本高等学校野球連盟第6代会長などを歴任。大京社外取締役、日本インターネット新聞株式会社取締役、フジ・メディア・ホールディングス監査役など、多くの企業や団体で役職を務める。愛媛県連盟宇和島第1隊、早稲田大学ローバースでスカウト活動に参加。2010年から2020年まで10年にわたり第10代日本連盟 理事長を務め、白鷗大学学長在任中には同大学に大学ローバー隊(栃木・小山第6団)を設立。
総裁一覧
健康で、意欲的で、知識力と活動力の旺盛な若者たちが、身の危険を冒してそれにぶつかって行くのも、いうなれば一つの経験への憧れなのである。
第2代総裁
石坂泰三(1886‒1975)
財界人、経営者。逓信省を退官後、第一生命保険に入社。
第一生命保険、東京芝浦電気(現・東芝)社長を経て会長に就任。第2代経済団体連合会(経団連)会長を6期12年務めた。
晩年は経団連名誉会長、日本工業倶楽部理事長など数々の重責を引き受け、経済人、財界人として著名。経済開発協力機構(OECD)の民間産業経済諮問委員会(BIAC)日本委員長をはじめ、国際経済交流に尽力。ボーイスカウトでは、計3回の日本ジャンボリー開催と第13回世界ジャンボリーの招致、開催に尽力した。
何事も付け焼刃ではモノにならない。
第3代総裁
植村甲午郎(1894‒1978)
昭和初期から後期の財界人、官僚。札幌オリンピック組織委員会会長。フジテレビジョン社長を経て会長、ニッポン放送社長を経て会長、財団法人日本科学技術振興財団会長、日本航空会長などを歴任。第3代経団連会長に就任すると、副会長を5人から7人に増員し、集団指導体制の下で調整力を発揮しながら、石油ショックや日米繊維交渉など内外の経済問題を対処。業界内および業界間の調整にその力を発揮した。1974年には土光敏夫に会長を引継ぎ、名誉会長となる。
失敗は終わりではない。それを追求してゆくことによって、はじめて失敗に価値が出てくる。
第4代総裁
土光敏夫(1896‒1988)
昭和時代のエンジニア、実業家。石川島重工業・石川島播磨重工業 社長、東芝 社長・会長を歴任。経団連第4代会長に就任し、「ミスター合理化」として土光臨調でも辣腕を振るった。また、橘学苑の理事長、校長の職を創設者である母から引き継いだ。大企業の経営者でありながらも質素な生活を送る姿(お手伝いさんを雇わず、朝食にメザシを食べる姿が TV 取材で流れるなど)から「メザシの土光さん」として親しまれた。自身の多くの肩書を整理する際にもボーイスカウト総裁職は継続し、日本の青少年教育に尽力した。
人柄や能力は、子供のころの体験が大事。好奇心や冒険心を育てることが、豊かな人間を作るのだ。
第5代総裁(代行)
井深大(1908‒1997)
電子技術者、実業家。ソニー創業者。教育活動に熱心に取り組み、幼児開発協会、ソニー教育振興財団を設立。次女に知的障がいがあり、障がい者が自立できる社会を経営者の立場から考えていたことがきっかけで、大分県に身体障がい者が働ける工場「ソニー・太陽」を建設。1985年にはボーイスカウト日本連盟理事長に就任した。井深は「なぜ、どうして」という探求心から、時計もおもちゃも片っ端からバラバラに分解するような少年で、大人たちから「こわし屋大ちゃん」と呼ばれたらしい。大人になってもなお、その好奇心が衰えなかった。
2021年4月 新たに就任
第6代総裁
御手洗冨士夫(1935‒)
経営者・実業家。第6代、第8代キヤノン社長を経て、同会長。第2代経団連会長を務め、現在は名誉会長。内閣府経済財政諮問会議議員。若者の人間力を高めるための国民会議議長。鉄道貨物協会会長。読売新聞グループ本社監査役。ラグビーワールドカップ2019組織委員会会長。2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会名誉会長。第23回世界スカウトジャンボリー(2015年)において、支援組織である第23回世界スカウトジャンボリー日本委員会会長を務め、同大会を成功に導く。その後、日本連盟特別顧問に就任し、2021年4月より第6代総裁に就任。